土居珈琲物語

コーヒー豆が、今のわたしに語りかけてくれることがある。

土居珈琲物語

1970年。わたしは自分の会社を作った。

1970年。わたしは自分の会社を作った。自分自身が美味しいと感じる珈琲をお客様へお送りしたい、その気持ちだけをもって独立した。自分が美味しいと感じるコーヒーとは、どのようなコーヒーなのか?その質問に対する考えは、シンプルだった。品質のよい生豆をつかった、焙煎したてのコーヒーの味だ。しかし当時のわたしが考えて作ったコーヒーは、市場に受け入れられることはなかった。当時はまだアメリカから輸入されてきたコーヒーが、ほとんどだった。アメリカから輸入されるコーヒーは、現地で焙煎されてから日本へやってくる。そのコーヒーは焙煎してから、かなりの時間が経過したものであった。このコーヒーが一般的であったため、焙煎してから時間経過した古ぼけたコーヒーの香りや味が、当時は本来のコーヒーの味と考えられていたのだ。わたしが「これが勝負の味だ」と考えてつくった焙煎したてのコーヒーの味わいは、受け入れられず、「まずい」と言われることさえあった。また当時、コーヒーに求められることは残念ながら、「価格」がほとんどであった。わたしが美味しいと思える生豆は、仕入れ価格が高いものばかり。自分が使うコーヒーの生豆は、妥協したくない。そうしたなか、市場が「価格」を求めるのであればどうすればいいのか?わたしが至った結論は、利益を減らせばいいというものだった。今考えれば幼稚な考えであるが、いいものを作って、それを安く売るということしか、わたしにはできなかったのだ。

自分に妥協することなく、自分の恥じない姿勢をもって、自分が考えるコーヒーの味を作っていく

いつもコーヒーのことばかり考えている人のために…。

しかしそれをすることで、想像していたより、多くのお客さまからご縁をいただけた。大きな会社とも取引してもらえるようになった。この当時のお客さまからわたしは、まじめに仕事をすることの大切さを、学ばせていただいた。こういうことを言うと、「多くの苦労をされたことでしょう」と言っていただくことがある。たしかに、当時は無茶苦茶働いた。しかし、実際自分に問うてみると、苦労やしんどいと思ったことはない。あるのは、自分の仕事に対するやりがいだけであった。少し生意気に聞こえるかもしれないが、自分にしかできないことをやっているという気持ちのほうが強かった。こうした気持ちをもって当たる仕事に、苦労やしんどさは、感じるひまがないのではないだろうか。今振り返って考えてみれば、当時の市場の声にあわせたコーヒーを作っていればそれはそれで商売になったと思う。そういう選択もできた。しかし、それではコーヒーの勉強はできなかっただろう。コーヒーの生豆を前にしたとき、その豆の美味しさは、どの焙煎度合いまでいくべきなのか、また逆にここまでは火をすすめてはいけないということを、コーヒー豆は、今の私に語りかけてきてくれる。こうしたことは、自分の気持ちをごまかさず、自分に恥じないことをするという考えを、貫き通したからだと思う。美味しいコーヒーを作るということは、たくさんのことを積み重ねる必要がある。自分に妥協することなく、自分に恥じない姿勢をもって、自分が考えるコーヒーの味を作っていく。コーヒーに関しては、この考えをこれからも貫き通したい。いつもコーヒーのことばかり考えている人のために・・・。(株)土居珈琲